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    (少しだけ改良しました)
     約1.7MB 30分

└─ 田辺鶴瑛あてのメール


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6月29日午前10時7分永眠。
 時はいつなんめり、今から13年前の5月。 田辺あかびという名前で講談協会の見習いになりました。

 四谷にある四谷倶楽部で、初めて六代目小金井芦州に出会った私は緊張のあまり、自分の名前さえ満足に言えませんでした。(なんだ、また一鶴のところに変なのが来たなと、チラと一瞥されただけで、なんの印象にも残らないようでした)

 その当時、たて前座(前座の一番上)だったK姉さんは「とても神経質な先生だし、名人なんだから、気をつけて!)と忠告してくれ、余計に、ハハ−っと平伏したように記憶しております。私の印象はただただ・・・憧れの遠い大先輩というところでしょうか。

 ある日良く気が付くK姉さんが六代目に「今年の新茶です」というと、お茶も好きな(おちゃけはもっとスキ!!)六代目は「そうか・・・もう新茶の季節かといって、喜んでおりました。ところが、もう一人の前座が、間違って(気をきかしたつもり)で新茶を捨ててしまい、K姉さんが六代目に必死で謝りあとで、K姉さんから大目玉をくらいました。

 時々六代目はお酒を飲み過ぎて楽屋に現れます。昔、お酒でを飲んで、高座にあがり大失態を演じたらしいという噂がありまして、六代目の楽屋入りが遅いと前座達はやきもきしました。ある時、ついにその日がやって参りまして、お酒を飲んだ状態で高座にあげてはいけないとでも、誰がどう 六代目を説得するか、前座には無理で結局真打ちのK先生が説得してくれました。

 その日のトリはK先生が務められ、高座でお客さんに、説明しておりました。前座の私にとって、六代目は、凄い大先輩、やはり果てしなく遠い先生でした。

 ある日、私がはとバスの仕事で寄席を欠席したとき、六代目が私のことを「あのひょっとこみたいのはどうした?」と尋ねたそうです。私は当時まだ30代で、ひょっとこといわれたとがっかりすると、K姉さんが、「あかびちゃん、そうじゃないよ!いいことなのそれだけあなたが印象に残ったんだから」

 その六代目が、講談協会の会長になったとき前座勉強会を開催してくださり、なんと会長宅へ稽古に通うことになりました。すると、想像していたより、ずっとお優しい六代目がそこにいらっしゃいました。義士の三村の薪割りを教わりました。そして、私は二つ目になりまして、鶴瑛と改名しました。

 ある日会長が「昨日夢を見たんだ真打ち披露興行の夢で毛氈が敷いてあって、誰のかと思ったらめくりに田辺鶴瑛とあって、鶴瑛の真打ちの夢をみたよと嬉しそうに話してくださいました。数年前に会長が御病気になられ、復帰を皆願っておりました。

4月に総会で決まり、この秋から真打ちにさせていただけるようになりましたと御報告に伺うと今一つお元気が無いようでした。先週突然お電話を頂き、危篤ですという知らせに驚いてかけつけると、赤羽中央病院のベッドの上におられましたが、意識ははっきりして、私の顔を見て、一生懸命しゃっべておりました。

 「10月3日のパ−テイに是非いらして下さい」というと、「はい」 といってくださいました。私は「また復帰してくださいね」というと、ウンウンとうなずかれました。六代目は私の真打ちを非常に楽しみにしてくださいまして。帯と草履も私のために買っていてくださっていたのです。

 尊敬する大好きな六代目、かわいがってくださってどうもありがとうございます。義理と人情を教えてくださいまして、どうもありがとうございますいつか、いい芸人になりますから、見ていてくださいね。
ご冥福をおいのりいたします。

  田辺鶴瑛   

 
  
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