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私も昭和29年に当時の講談組合(頭取・邑井貞吉)の前座として、現芸名をもって上野本牧亭の定席で勉強させていただいて以来、講談道一筋でやってきました。
思えば強度の吃音(難阻正吃音といって夕行方行など20音ぐらいの言葉が頭に出てくると喋れない。田辺のタが言えないために芸名は言えず、今晩わのコが言えず苦しむ)矯正の道を伝統芸・講談の話芸に求め、十二代目・田辺南鶴の内弟子(戦後の講談界ではただ一人の内弟子)として講談界入り。吃音矯正と芸の習得の両方に格闘しながら修羅場の話術に夢中の毎日でした。
修羅場話術の力を借りて一語一語の矯正となり、はじめはただ滑らかに喋れればよいというリズムの習得から、次の段階は息継ぎを少しでも長く、より長くと稽古。これらを会得すると今度は序破急の破るに挑み、急の部分に挑戦できるようになったのがここ十年ほど前でした。
お陰で芸の稽古と同時に噂音の悩みも消え、どうやら芸を学ぶ障害がなくなり、聞く耳も肥え、さあこれからという時期にたどり着いた思いです。
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