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  *----------* あっちのお話

*---- 『落語と将棋の関係は』

*---- 五代目 桂文枝

*---- 「浪曲は一回きけば充分だ」と言わせないためにも。


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 『落語と将棋の関係は』

  「将棋ペンクラブという将棋愛好家の小冊子がありまして、それに駄文を書きました。 タイトルは「落語を聞くと将棋が強くなる」です。  

 それでは、お時間まで。 昨年、東京の将棋ペンクラブの交流会で私は二つの謎掛けを披露しました。  

将棋ペンクラブと掛けて落語と解く、心は落ち(越智=信義さんのこと。将棋ペンクラブの会員)が肝心です。もうひとつが、 団鬼六の小説と掛けて将棋の終盤と解く、心は縛りがものをいうでしょう。  

あまりのくだらなさに卒倒しそうになった人がいました。失礼いたしました。
自己紹介をします。私は51歳の出版社につとめる会社員。趣味で落語を演ります。幼少時、落語はラジオでよく聞きました。「あの若旦那は知ったかぶりの酢豆腐だね」「あのご隠居の芸はとんと寝床だ」という落語の表現は身近にありました。くだらないことを言うと、落語みたいことを言うなと、たしなめられました。
この稿は将棋と落語の共通点を探り、両者を学究的に考察しアウフヘーベンするという前代未聞で大胆不敵な企てです。

将棋も落語も大衆に長く愛されてきた日本独特の文化です。ともに相手(観客)を必要とするコミュニケーションツールです。棋は対話と内藤国雄九段が言うように、将棋も盤を挟んで話をしています。言語能力が高い棋士が多いのは当然なんですね。

当将棋ペンクラブにも、将棋好きで落語好きはたくさんいます。最終選考委員の池内紀さんは『はなしの名人』(角川選書)という落語に関する好著があり、会員の東公平さんは八っつぁんとクマさんのやりとりだけで観戦記を書いたことがあるそうです。同じく会員の三遊亭とん楽師匠や桂九雀師匠は本職の落語家です。木村義雄十四世名人にしてからが自著『ある勝負師の生涯』で自身は下町育ち、寄席通いで、さまざまなことを耳学問で学んだと書いています。

将棋を扱った落語では『浮世床』が代表格。ヘボ将棋の二人の会話です。
「あれ、オレの王将がいつのまにか、なくなったぞ」
「さっき、王手飛車をかけたときに、その手は食わねえって飛車が逃げたから、王を取ったんだ」
「あれー、おめえにも王がねえな」
「俺は最初から懐にしまってあるんだ」と大笑いです。

『将棋の殿様』は権威を笠に来た将棋好きの殿様の話。『宮戸川』では将棋で遅くなった半七が締め出しを食うのが噺の発端です。『笠碁』を古今亭志ん生は碁でなく将棋バージョンとして『雨の将棋』として演じました。この志ん生は名代の将棋好きで『待ったクラブ』という将棋好きの落語家の同好会を作っていました。  

次は外見です。落語家の着物と、将棋のタイトル戦での着物。日本の季節と日本人の体型に合った着物は合理的で美しい。棋士も扇子に、いい文字を書きます。前期の竜王戦、阿部隆七段が扇子に書いた「天命」は印象的でした。
天命とくると、落語は『短命』。美しい妻ゆえに房事過多で腎虚になってあの世にいく複数の夫。私も妻の顔を見て噺の落ちさながらに「ああ、おれは長命だ」とつくづく思いました。棋士の扇子では、その文句で私は勝利を拾ったことがありました。  

ある時の将棋の終盤。大苦戦です。持っていた扇子には大山康晴十五世名人が書いた『助からないと思っても助かっている』。思わず、私は、なんまいだなんまいだと、お題目を唱えました。
なんまいだ、何枚だ。駒台には歩が三枚。そうだ、三歩あったら継ぎ歩に垂れ歩だ。そのとおりにやってみたら飛車先が破れ、詰ませることができた。お題目(お材木)で助かったという『鰍沢』の落ちと同じです。驚きました。大山名人と、『鰍沢』を得意とした三遊亭圓生に救われたのです。

大山とくれば升田です。升田幸三・元名人は駒落ちで団鬼六と対戦。敗れて悔しい団さんが、自分の優勢な局面はなかったかと執拗に問うと升田は「いちばん最初の局面だけは(駒落ちだから)優勢だった」と人を食った答え。団さんのエッセイは憂愁を帯びた人情噺です。そういえば、団さんは立川談志が家元の立川流の文化人コースに入っています。

名人というと、米長邦雄永世棋聖も落語家顔負けの話芸の巧みさと話題の広さには定評がある。米長は弟子入りのとき、落語全集を持っていき、将棋でものにならなかったら落語家になるつもりだったと読んだ覚えがあります。
桂馬の跳ね方は女性の体でいうと、ヘソからオッパイに飛ぶんだという名言が私は好きだ。ちなみに米長の弟子の先崎学八段、エッセイは世話講談の味わいです。 すぱっと切れる光速流の谷川浩司王位の鮮やかな終盤を見るとき、落語の『首提灯』を連想するのは私だけでしょうか。  

落語は飲む、打つ、買うの三道楽、人間の業の肯定です。将棋も勝利の快感あり、負けての屈辱感あり、露わにはしませんが人間の感情の全てがある。落語を知ると将棋の妙味もまた深く感得できる。

おしまいは宣伝です。今年の10月25日(土)、東京・浅草の木馬亭で演芸大会を催します。当会の幹事の湯川博士さんは仏家シャベルという芸名で落語を、漫画家のバトルロイヤル風間さんは奇想天外なコントをお見せします。私は「あっち亭こっち」という芸名で『浮世床』をやります。ぜひ、いらしてください。

素人は将棋も落語もほどほどに。過ぎると将棋(正気)の沙汰でないと叱られます。 おあとのページの支度ができましたようで。どうも、ご退屈さまでした。

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五代目 桂文枝  

 10月3日に東京・紀伊国屋ホールでおこなわれる五代目桂文枝の会の会報「五代目ワールド」に原稿を書きました。以下が、それです。

 五代目の噺は日本の誇りです。  
五代目の気に打たれて、身がすくんだ。  

十年以上前のこと。たまたま楽屋にいた私は高座に上がる直前の五代目に目をやった。椅子に腰掛けていて、背中を少し丸めて、頭は胸につくほどに首を折っていた。膝を揺らしていた。そこには何者も寄せ付けない緊張と高揚の気の壁があった。

一席、とどこおりなく終わりますようにとの願いなのか。はかりしれない修業の厳しさと、神仏に祈る謙虚さを感じた。戦慄と感動を覚えた。見てはいけないものを見た。五代目はふっと気息を整えると、高座に足を運んだ……。
素人はみだりに楽屋に入るべからず、と正岡容は客を戒めたが、その意味がよくわかりました。楽屋は芸人の聖域なんですね。  

私は51歳の出版社に勤める会社員です。最初に五代目の噺を聞いたのは30年前の小文枝時代。
先代の金原亭馬生との二人会だった。力を抜いて江戸前の淡白さで噺を進める馬生に対して、ぐいぐい力と熱と技で押してくる五代目に圧倒された。醤油味のあっさりした東京ラーメンよりも、あぶらぎった、ごった煮で栄養満点の「べちょたれ雑炊」のほうがおいしかった。(してみると噺は『七度狐』だったか)。上方落語、おそるべし。小文枝はすごいと記憶されて30年。五代目の高座を見て裏切られた覚えは一度もない。

特に『舟弁慶』は何度聞いても驚きと発見がある。大阪の町のねっとりとした暑さが伝わってくる。おちょねに小ちょねの艶やかな芸妓姿が浮かび上がってくる。「清水の舞台から飛んだと思うて……」「行くか」「やめとくわ」「やめるのに清水の舞台から飛ぶことがあるかい。こら、カス」という間の良さ。雀のお松は、私の女房がモデルだ。
なぜ五代目は私の家庭をご存じなのだろう。大詰の知盛と弁慶は歌舞伎通もうならせる本格的な大芝居。歌舞伎の下座をつとめていた五代目で、歌舞伎は血肉化している。芝居噺でも日本一だ。

この『五代目ワールド』は創刊号から5号まで私が制作していて、電話でながら直接に五代目と話をしました。五代目には日本人が最近、とみに失いつつある徳目である勤勉さ、慈愛、自然への感謝などをいつも感じていました。名人は人間の幅と奥行きが違うんです。

国家は言語のなかにあると言われます。五代目の噺には大阪の風俗だけでなく、江戸、明治、大正の時代の人々が豊かに息づいている。日本の歴史、伝統、文化、自然観が体現されています。貴族、武士、農民、町人など五代目の体には何千人もの人間が住んでいて、一人ひとりが人生の物語を展開しています。
五代目は人間山脈だ。「五代目ワールド」という文化の小宇宙は日本の誇りといってもいい。

西郷隆盛を評して坂本龍馬は「あの人は大きな太鼓で、こちらが大きく打てば大きく響く、小さく打てば小さく響く」と。観客の成長の度合いで五代目の芸容の大きさが現れてくる。思えば30年前も五代目の噺は完成品でした。

現代人は仕事に金策に愛人に追われています。五代目の高座に接するとき、ささくれて乾いていた心の窪地に新鮮な水が注がれる気がする。いい芸は人を救うとはホントだなと実感できるのだ。 おわり

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以下の文章は「月刊浪曲」2004年2月号に 載せたものです。月刊浪曲は布目(ぬのめ)英一が 編集長。東西の浪曲の情報、浪曲の研究などを 載せている浪曲専門誌です。

  「浪曲は一回きけば充分だ」と言わせないためにも。

  --- 木馬亭の浪曲定席を見て  

歌は世につれというが、浪曲は世につれているか。元日の興行を見て、雑誌で言うところの休刊の危惧をいだいた。  

今年の元旦、浅草・木馬亭で初席を見ました。私の浪曲鑑賞歴は十五年です。初めて訪れた客のつもりで浪曲に接しました。

気になったことを書きます。
前読みクラスの演者が自己紹介をしない。師匠が誰でキャリアが何年、自分はこういう人間と言わないと親近感が持てません。メクリの名前も読めない。マクラをふらないですぐに演題に入る。
客は演題を聞くにも心の準備が必要です。自分を語ってほしい。前座クラスで一席三十分は長すぎる。十分、十五分バージョンにできないか。木馬亭規模の劇場でマイクは必要か。鍛えた肉声の強靭さや繊細さが伝わらない。

ある演題が終わったとき、客が連れに「今のはなしはわかって良かったな」と話しかけていた。理解されにくい演題が少なくない証拠だ。口演中に現代語を使った余計なくすぐりを入れるから物語の時代背景が混乱する。演者自体が話の内容を把握しているのか疑問の舞台もある。

入場料が正月料金にもかかわらず出演者の人数は変わらない、これといった演出、工夫もない。正月気分もことさら感じられない。普段の月の興行と変わらない。落語や講談の初席をのぞきましたが、新春興行らしく大人数の出演や華やかさがありkuコ碣徐ぢ(この部分文字化けしている・・・) 

私は雑誌作りに携わっています。編集長は編集部員が出す企画を取捨選択します。写真を厳選し、記事は水準以上にまで書き直しを命じます。原稿はボツにもなります。読者に読みやすく、ためになる情報をたっぷりと盛りこんで作りますが、雑誌は立ち読みされ、デジタル万引きされるためか、売れません。  

現在の木馬亭の興行を他人事とは思えません。関東の浪曲を雑誌にたとえると、表紙は木馬亭の入り口です。最近、出演者の写真を表通りに掲げて前向きの姿勢を見せていますが、トイレの状況、暗い場内、固い椅子など課題は多い。
演者が各人、一人一党の編集長です。雑誌では数字として結果を出さねば編集長は更迭されます。木馬亭の舞台の責任は誰が負うのだろうか。木馬亭の正月三が日興行くらいは現役の浪曲師や三味線弾きは全員、出演する気構えと意気込みを見せてほしい。  

上野の鈴本演芸場がこの正月で営業を再開したとき、落語家の多くが寄席の重要性を再認識したと語りました。木馬亭は浪曲人が死守すべき砦のはずだ。  

浪曲の魅力を私は木馬亭の興行で知りました。先代・東家浦太郎の滋味あふれるマクラ、天中軒雲月の演題までの熱気あふれる長広舌、東家浦若の小気味良い啖呵の運び、三代目・玉川勝太郎の愛嬌と迫力……。
浪曲は声、節、啖呵という太夫の魅力だけでなく、物語の面白さや三味線の音色・掛け声など、楽しませる要素は様々にあり、芸の奥深さは話芸では浪曲が一番でしょう。
古河に水たえず。浪曲を知り復活を願う人は多いはずです。浪曲の潜在的な需要は計り知れない。浪曲の鉱脈は尽きていません。
古いことが理由で廃れるなら能、狂言、文楽は現存しまい。絶滅寸前だった上方落語を復活させた桂米朝、桂文枝たちの活動を奇跡的な例外と言ってはなるまい。  

木馬亭の設備から、演者のマクラ、外題づけ、内容、演題の流れなど商品価値とはなにかを検証する時期だ。木馬亭の存在を知る浪曲ファンは一度は足を運びます。
そのかたをリピーターにするには大変な努力が必要です。お客さんはイヤなことがひとつでもあると二度と来ません。おもてなしの気持ちを持って、入口から出口までサービスの連鎖であってほしい。

現在はすべてのジャンルの興行側に大きな意識改革が迫られている。まずはお客様の声を真摯に聞くべきです。  
一月一〇日、木馬亭の「特選会」で若手の浪曲を聞いて、現代に生きる浪曲が芽生えつつある実感を覚えました。
浪曲は、これからが勝負なのです。(終わり)

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