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ダウンロード用 鶴瑛
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●●● 誕生 昭和30年11月22日、函館市うまれ、その日は吹雪で海は大荒れ、わたくしも難産でした逆子で、へその緒が首にぐるぐる巻きになって仮死状態で今でも特に頭の血のめぐりが悪いのはこのせいか、体重は2.5キログラムでした。 ●●● 小学生時代 柳家金語楼の物真似をしたり、わざとへんな顔をしたりして、周りを笑わせるのが好き道化者でした、当時の好きな本はシャ−ロック・ホームズのシリーズに出て来たアルセーヌ・ルパン。 マンガは「少.女フレンド」の楳図かずおの、へび女、猫目の少女、紅グモ少女が大好き、海がしけると船便の「少女フレンド」が函館に届かず、がっかりした。 ●●● 中学生時代 心に患うことが素直にいえず、友人、教師とのつきあいに悩みました。 ●●● 高校時代 セ−ラー服が好きだったので、プロテスタントのミッションスク−ルの遺愛女子高等学校に進学、現代国語の教師・吉野先生の影響で夏目そう石を読む、「こころ」が好きだった、 趣昧はオシャレで、.制服のスカートを長くしパーマをかけペタンコのカバンを持つ校則破りは毎日で教師連中からは目をつけられていたが、わたくしは全く気がつかなかった。わたくしの処分についての職員会議があって現国の吉野先生が「あの娘には、なにかがあります」とみんなを説得したと、あとになって」数学の担任から聞かされた。 この数学の担任が苦手で「あなたは私への当てつけで、わざと数学は悪い点をとっているんでしょう」と決あつけたが、実際に数学はチンプンカンプンで、お手あげだった。体育もダメで教師からは、わざと怠けていると思われておりました。 夏休み、冬休み、春休みのたびに上京し「アンアン」や「ノンノ」から抜け出たような格好をして原宿のショップを一日中ふらふらしていた。「チボー家の人々」「二十歳の原点」などを読み、自殺した人にあこがれ、いつも死にたかった。 学校がずーっと嫌いだった高校卒業後、古典の先生と出会ったとき「あなたは、なにかをやらかすんじゃないかとハラハラして見てたけど、結局は真面目な生徒だったのね」 としみじみいわれました。そうなんです、いまでも真面目なんです。 ●●● 浪人時代 武蔵美、女子美、フェリスなどの大学受験に失敗。原宿の代々木ゼミナールに通う。この年、母がくも膜下出血で札幌の北大病院に入院。母は脳外科で手術を受け植物人問になった男女混合の病室だった。隣が耳鼻咽喉科の病棟で、あごのないひと、顔が変形した人を見てショックだったが、すぐ慣れて平気になる。 このころ、横尾忠則や「この世の終わり」の本に影響を受けて、UFOや禅、インドに 興味を持ち出す。人間とは、生きるとは、死とは、悩み始める。 ●●● 短大時代 翌年、札幌の藤女子短期大学(別科)に入学、母には土曜と日曜のみ付き添い、あとは付き添婦さんにまかせ、学校では何不自由のないお嬢さんのように見栄をはりニコニコして暮らしていた。 授業中に反抗し、呼ばれても返事をしなかった、児童心理学の助教授のシスタ−奥山(コロナ様)から研究室に呼ぱれ、それ以来がんばりなさい」「いつも、私も神様もあなたを見守っているからね」とわたくしをはげましてくれ、苦しい時を支えてくれました。 ●●● 21歳 学校では聖書に親しみ、この世の終末を信じていた(2000年の前に、人類は滅亡するはずと固く信じていた。)生きる望みはなかった、母の看病で通っていた北大病院の看護婦から、「夢は?」と聞かれ、「そんなものあるわけないっしょ」と答えたら芝居を勧めてくれてチケットまで買ってくれた、その芝居は劇団四季の「エクウス」で感激した。そののち、黒テントの清水紘治を見て、このまま家出してついていって劇団員になりたいと真剣に考えた。 北大病院の婦長さんから、母の容体はこれ以上良くならないから函館の病院に移って下さいといわれたときはその瞬間気が遠くなり、美人の婦長の真っ赤な唇が部屋中に夫きくなって見えました。その後、函館に移った母は半年後に死亡。 ポッカリと心に穴があいて、この世の終末も近いし生きていても仕方がないので、自殺の名所の立待岬(たちまちみさき)をうろつくが雑念のため(海の水が冷たそう落ちたら死ぬと)自殺はやめた。 母を函館に移す前にシスター奥山は母に洗礼を授けてくれた、わたくしも洗礼を受けるつもりだったか、洗礼すると処女でいなければならず、それは面白くなさそうなのてやめ た。 ●●● 22歳 母の死後、なにもすることがなくて、ふらふらしているときに「メディテーション」という雑誌と出会い、横尾忠則も好きなインドに行きたくなり、インド放浪インドでは手足のない人がちゃんと生きていて、その光る目から生命力の強さを感じた。そういう人は北大病院である程度慣れていたのでインドも平気だった。インドでは観光客と見ると高くふっかけるから必ず値毅の交渉をするようにと、「地球はせまいわよ」に書いてあったので、インドでは毎日毎日カネ勘定に明け薯れていた。自分があさまいと思った。 精神的なものはどこにあるの? 考えているとインドで知り合った男性(23歳、中京大学の学生)が好きになるが、告自できずにモンモンとする。 ●●● 24歳 インドからの帰国後、その学生に愛の告白をしに東海道新幹線に乗って大阪は千里ニュータウンに行った。二十四歳の記念すべき夏の終わりだった。 新宿三井ビルの55広場にて、大道芸人ギリヤーク尼崎を知る。強烈な感動を覚え、追っかけとなり、弟子入りを希望するが・・・・・断られる。でも・・・・まだ捨てきれない、いつか・・・大道講談やるぞ! 吉祥寺に居をかまえた。彫刻家の草間弥生の「マンハッタン自殺未遂常習犯」という美しい本に出会い大感激、草間先生を牛込に訪問した。出てきた草間先生は幻想的な妖精だた。草間先生の手伝いをしながら、芝居や映画を見る、草間先生のアトリエは自由な空間で、 治外法権の世界で多大な影饗を受けた ●●● 25歳 劇団【転位21】に入団するが我がままのため1年持たず。 ●●● 26歳 夫と知り合い結婚.劇団をやめる。辛い修行は性に合わないのよねー・・・・・ ●●● 昭和58年1月 長女・小むぎ出産。子育てが人間社会にもどるためのリハビリになった。造形作品をつくりながらながら子育てを楽しむ。(苦しむ?)辛い子育ては性に合わないのよねー・・・・・ ●●● 平成2年7月 夢の中に突然会ったこともない田辺一鶴師登場!一鶴はテレビで、それも昭和39年の東京オリンピックの頃の思い出しかなかったのに。 ●●● 平成二年 11月田辺一鶴に入門 ●●● 平成3年5月 講談協会の前座見習いとなる ●●● 平成7年二つ目昇進 田辺鶴瑛となり、介護講談と運命的な出会いをする。 ●●● 平成15年10月 ●●● 平成20年10月
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